アーノルド・J・トインビーの世界連邦政府構想 ~世界平和のための具体的な方策~
第二次世界大戦が終結して、今年で76年になる。
その後、世界的な規模の戦争は起きていないが、未だに世界のあちこちで、軍事衝突は続いている。
この76年間に起きた戦争を振り返ってみると、隣国同士の戦争、政府軍とゲリラ組織との戦争、民族間・部族間・宗教間での紛争など、数え上げればきりがない。
誰もが地球上から戦争が完全になくなることを切望しているが、なかなか本当の世界平和は実現しない。
果たしてそれは、どうしたら実現できるだろうか?
今回は、世界平和のための具体的な方策を示している、アーノルド・トインビーの世界連邦政府構想について解説し、筆者なりの考察を加えてみたい。
Contents
様々な著名人が訴える世界連邦政府構想
さて、今回重点的に取り上げるのは、アーノルド・J・トインビーの世界連邦政府構想であるが、世界連邦政府の構想自体は、様々な著名人が訴えている。
第二次世界大戦後に国連が発足したが、これだけでは世界平和を実現するのに不充分と感じた世界の科学者・文化人たちが、1946年10月に「世界連邦政府のための世界運動」を起こし、これにバートランド・ラッセル、アルバート・アインシュタイン、アルベルト・シュバイツァー、湯川秀樹などのノーベル賞受賞者たちが賛同した。
それ以外にも政治家で、インド初代首相のネルー、日本でも尾崎行雄などが世界連邦政府を提唱している。
それまでも、第一次世界大戦後に国際連盟、第二次世界大戦後に国際連合(国連)が結成され、世界平和実現へ向けて様々な取り組みがなされたが、いずれも挫折した。
それで、もっと強力な組織として、世界を一つの政府で統治するようにしたら良いのではないか、という世界連邦政府構想が浮上してきた。
様々な著名人が世界連邦政府構想を訴えていて、素晴らしい構想ではあるが、いつか実現したい願望という次元で、具体的な青写真を描くまでには至っていない。
その中で、歴史学者のアーノルド・J・トインビーは、世界連邦政府構想についてかなり踏み込んだ提案を行い、実現の見込みまで示していて、その学説は非常に注目に値すると、筆者は感じている。
アーノルド・J・トインビーの学説
さて、読者諸氏の皆様は、歴史学者アーノルド・J・トインビーをご存じであろうか?
イギリスの歴史学者で、人類の歴史を詳しく研究し、この人類歴史の中で、過去の時代に起こった出来事と同じような意味を持った出来事が、何百年か何千年か後にも再び繰り返されているのを発見し、これを『哲学的に同時性の時代』と名付けた。
そして、その内容を著書『歴史の研究』でまとめ、有名な「歴史は繰り返す」という言葉を残した人である。
彼の叔父も歴史学者で、アーノルド・トインビーという同じ名前であるため、2人を区別るするために、ミドルネームの「ジョセフ」を入れて、アーノルド・J・トインビーと呼ばれている。
筆者はトインビーの著書から、非常に多くの示唆を得たが、彼は人類の未来について、『現代が受けている挑戦』という著書を書き残し、そこに世界連邦政府構想についての記述がある。
そこで、その構想についてなのだが、まずトインビーは、国連が何故世界平和実現になかなか貢献できていないかについて、機構自体の問題を取り上げ、それは国連が世界各国の利害関係を調停するだけの、協同組合のような機構だからである、と述べている。
現在の世界で最も強い権力は、それぞれの国家の主権であり、国連はそれ以上の権力を持っていない。
そのため、ある国が国家エゴで暴走するような政策をとったとしても、国連にはそれ防ぎ止めるような強制力がない。
真の世界平和のためには、いざという時に世界全体に強制力を働かせることができる仕組みが必要であり、そのためには、国連が今の協同組合的な性格を脱して、実質的な世界連邦政府にならなければならない、とするのである。
すると、各国から世界連邦議員が選ばれて、世界連邦議会が結成される。
そして、いまの国際法を超えた世界連邦憲法と言うべき法律が制定され、世界各国はそれに従わざるを得なくなる。
かくて、世界連邦議会を基盤にした世界連邦政府は、いざという時に強制力を持って、世界の諸問題を解決するというのである。
ただ、これを達成するためには、越えなければならない大きな壁がある。
それは、実質的な世界連邦政府を設立するためには、世界中の主権国家がその主権の一部を放棄し、世界連邦政府に譲渡しなければならない、ということである。
そして各主権国家は、県や州のような地方自治体同様の立場になり、独自の自治権は持ちながらも、世界連邦政府に従うことを求められる。
ただ、こうした場合に、果たして各主権国家は、主権の一部を放棄することに賛同するであろうか?
それが難しい問題である。
世界連邦政府実現の見込み
しかしトインビーは面白いことに、この続きを述べて、世界連邦政府が実現する見込みについても言及している。
彼が言うには、この、主権の一部を放棄することに対して、おそらく各主権国家は、最初は激しく抵抗するだろうと述べている。
しかし、真の世界平和を実現するためには、主権の一部を放棄することがどうしても必要だということがわかれば、最終的にはしぶしぶ承諾するに違いない、というのである。
かくて、世界連邦政府は実現することになる。
各主権国家が、その主権の一部をなかなか手放さないというのは、容易に想像がつく。
それは、この歴史を通じて、隣り合う国同士がいつも戦争を繰り広げてきたからであり、自国の防衛力を放棄してしまえば、隣国から攻め込まれた場合に、何も抵抗できないことになる。
それは、その国の国民にとっては、とんでもない恐怖である。
これまでの歴史の中で、自国の政府こそが自分たちを守ってくれる拠り所であり、他国の政府など、容易に信頼できるものではない。
なので、主権の一部を手放そうとしないのは、当たり前であろう。
しかしこの前提がなければ、世界連邦政府は実現しない。
この前提を成立させるためには、世界中の主権国家が、同時一斉に主権の一部を放棄することが必要である。
おそらくそれは、国連の代表が世界各国を説得して回って、全ての国から同意を取り付け、「○○年○○月○○日の午前零時を期して主権の一部を放棄します。」というような条文を取り交わして、同時一斉に、連邦政府体制に移行するのではなかろうか。
そのようにして世界連邦政府が成立するというのが、トインビーが述べている学説である。
こうしてみると、この学説は非常に説得力があり、筆者には世界連邦政府が実現しそうに思えてくるが、読者諸氏の皆様は、いかが思われるであろうか?
トインビーの学説はここまでであるが、世界連邦政府が実現した世界はどうのような世界になるだろうか?
この後は、筆者なりに想像を膨らませて、世界連邦政府実現後の世界を、イメージしてみたい。
世界連邦政府が実現された世界は
さて、まず世界連邦政府がどうのような体制になるのかであるが、それは現世界でも連邦体制を取っている「○○連邦共和国」といった国の体制を見ると分かりやすい。
例えばアメリカやドイツなどである。
アメリカは全米で50の州があるが、それぞれの州は日本の県よりもかなり自治権が強い。
日本にも、国の法律以外に各県にだけ通用する条例があるが、アメリカの各州の州法は、条例よりかなり裁量が大きく、州政府が決定できる範囲も、日本の各県よりかなり広い。
それぞれの州の住民の生活は大部分が州の管理下にあり、アメリカ合衆国政府は、国家全体の方向性に力点を置き、あまり国民の生活には干渉しない。
ドイツは、1871年のドイツ統一の前までは、プロイセン王国、バイエルン公国などの、いくつかの国々に分かれていた。
それがドイツ帝国という一つの国になるのだが、今までのそれぞれの国の特色を残したままの連邦体制をとり、それは現在も続いている。
世界連邦政府は、それを世界的に拡大したものである。
そう考えると、おそらく世界連邦政府は、今までの各国の自治権は大部分残して、どうしても世界で共通させなければならないことを、決定してゆくであろう。
それぞれの国々の文化や風習は、歴史的な遺産として尊重される。
日本の皇室や各国の王室は、それぞれの国民が望めば存続する。
今までのもので価値のあるものは尊重されるが、倫理道徳の観点から見て、甚だしく問題のある悪習と見なされたものは、廃止させられる可能性がある。
今までは海外旅行へ行くにはパスポートが必要だったが、もはやパスポートは発給されなくなる。
その必要がなくなるからである。
その代わりに、現在のマイナンバーカードのような、世界万民が持つナンバーカードが発給されるかも知れない。
それが、旅行先での身分証明書となる。
現在各国が保持する軍隊は、もはや保持する必要がないため、必然的に解体させられる。
そして、各国から志願者を募って、『地球防衛軍』というべき新しい軍隊が結成されるであろう。
各国の正規軍はなくなっても、ゲリラやテロ組織が活動するかも知れない。
そんなときは、『地球防衛軍』が出動して鎮圧に当たることになる。
それから、各国の警察組織は必要であるから、そのまま残される。
そして、さらに上部組織として、『世界連邦警察』が結成されると思われる。
現在でもインターポールという、世界的な警察機構はあるが、これは現在の国連のような、各国の警察の連絡機関のようなものに過ぎない。
アニメやドラマの世界では、例えばアニメ『ルパン三世』の銭形警部のような、世界を股にかけて活躍する捜査官が登場するが、実際にはそれぞれの国で法律が違うため、別の国で自由に捜査活動をすることはできない。
しかし『世界連邦警察』ができるならば、世界連邦政府の承認のもとに世界各国へ飛んで、国際的な犯罪組織を取り締まることになるだろう。
経済的な面では、世界単一通貨が導入されれば、自由な経済活動の上では一番望ましい。
ただ、EUの例を見ても明らかだが、各国の経済事情によって、単一通貨導入が負担になる国もあるし、イギリスのように導入を拒否する国もある。
現在の状況では、先進国と途上国の経済格差が非常に大きいため、単一通貨を導入するには無理がある。
筆者が思うには、単一通貨導入を前提に、例えば50年くらい先を目標として、その時までに先進国と途上国の経済格差を縮めてゆき、格差解消の目標が達成されたら、単一通貨を導入するのはどうだろうか?
そうすれば、無理なく単一通貨を導入して、世界が一つの経済圏になる。
そして、世界連邦政府の政治的な仕組みについてだが、各国の国会は、県議会や州議会と同様の立場になる。
そして各国から世界連邦議員が選ばれて、世界連邦議会を結成し、世界連邦政府憲法と様々な国際法が制定され、その法律に各国は従うことを求められる。
また、現在の大統領のような世界連邦政府代表、また大臣や長官に当たる政府首脳も選出され、国際政治に当たることになるであろう。
どれくらい世界連邦政府が権限を持ち、どれくらい各国の自治権にゆだねるかは、微妙な問題である。
多くの人はあまり束縛を好まないし、筆者も自由が良いと思うので、各国の自治権が大きく、世界連邦政府が介入するのが最小限で済めば、一番望ましい。
ただ、現在の国連が干渉できない問題について、世界連邦政府がイニシアチブをとって解決できるようにしなけれならない問題もある。
それは、人権弾圧などの問題である。
ニュースでは、中国政府による香港での人権弾圧、ミャンマーの軍事クーデターなどの問題も報道されるが、現在の法律では、国連でも各国の政府でも、非難決議はできたとしても、それ以上に干渉することはできない。
しかし世界連邦政府が結成されるならば、明らかな人権弾圧と思われるケースに関しては捜査官を派遣して調査し、必要ならその国に懲罰を与えなければならない。
それができてこそ、世界連邦政府の意味があると思うのである。
プラトンの警告
以上、世界連邦政府についてのトインビーの学説、そして著者なりの考察を述べてきた。
筆者は、世界連邦政府がいつの日か実現するであろうと思うし、また実現して欲しいと願っている。
ただそのためには、一つ重要な注意点がある。
それは、古代ギリシャの哲学者、プラトンの警告なのだが、民主主義が正常に機能するためには、良識ある人々の声を中心に、健全な世論が形成されていることが不可欠であり、それが無い場合は、民主主義は衆愚政治に転落する恐れがある、ということである。
衆愚政治とは、愚か者の声によって動かされる政治、具体的には、不平不満を動機とした人々の短絡的な投票行動によって、資質に欠けた代表が選ばれ、その人物が国を誤った方向へ導いてしまうことである。
その人物が重要なことを何も決定できなったり、暴走を始めたりすれば、その国は大きな損失を被ることになる。
実は、人類はこうした悲劇を、何度も体験している。
身近な例は、ナチス・ドイツのヒトラーである。
ヒトラーが政権につく以前、ドイツは第一次世界大戦に敗れ、その敗戦後の混乱状態にあった。
戦勝国から巨額の賠償金を課せられ、物価は高騰し、人々は貧困のどん底にあえいでいた。
ドイツを立て直そうとする政治家が何人か現れたが、ドイツ再建への道を、確信をもって提言できる人物は、誰もいなかった。
そうした中で、ただ一人希望ある未来を威勢よく叫ぶ人物がいたが、それがヒトラーだったのである。
思慮深い人は、彼が恐ろしい野望を抱いているのではないかと警戒したが、多くの人は熱烈に歓迎した。
ヒトラーがこそが、ドイツに希望ある未来をもたらしてくれるように、思えたからである。
ヒトラーが率いた国家社会主義ドイツ労働者党、すなわちナチスは選挙のたびに議席を増やしてゆき、1932年の7月の国会選挙で第1党となり、1933年の1月30日、ヒトラーはドイツの首相となった。
首相となったヒトラーは、徐々に独裁体制を敷いてゆき、全ての権限を掌握する総統の地位につき、ドイツを誤った方向に導いたのである。
第二次世界大戦が勃発する前、ヒトラーはアウトバーンの建設工事などで人々に仕事を提供して経済を復興させ、ドイツの救世主に思える時期もあった。
しかし、世界征服の野望を抱くヒトラーは、結局第二次世界大戦を引き起こし、ドイツと全世界を、地獄に引きずり込んだのである。
もしヒトラーが、最初からクーデターか何かで無理やり政権を奪取していたなら、一般のドイツ国民には一切責任はなかった。
しかしヒトラーが政権ついたのは、あくまでも選挙という、民主主義の手続きを踏まえてであった。
ヒトラーを政権の座につけたのは、ドイツ国民の投票行動であり、そこに、一般のドイツ国民の責任も問われる問題がある。
想像してみるとわかるが、良識ある人々の声を中心に、健全な世論が形成されているというのは、実はかなり難しい。
その社会が順調に行っているなら、健全な世論は形成しやすいだろう。
しかし社会が逆境に陥って、人々の不平不満が募りやすい状況になったときが、大きな分かれ目である。
そんなときにある候補者が、耳障りの良いことを訴えていれば、どうしてもそこに惹かれやすくなる。
その候補者の訴えていることが、本当に現時点の問題を克服し、希望ある未来へ導いてくれるものか判断するには、かなりの見識を必要とする。
世界連邦政府が誕生するためには、世界中の人々の見識が、もっと高まってこなければならない。
プラトンの警告は、現在でも重要な教訓である。
世界連邦政府実現の日はいつ?
筆者はここまで、世界連邦政府について、様々な見解を述べた。
これを読んだ読者諸氏の皆様の中で、「そんなに面倒なものなら、世界連邦政府など目指さなくても良いのではないか?」とお考えの方もおられるであろう。
しかし著者が世界連邦政府にこだわるのは、現在の世界が直面している問題が、世界的な合意なしには解決できない問題ばかりであり、これを解決するためには、どうしても今の国連を超越した機構が必要に思われるからである。
例えば、先日NHKで、今後10年以内に効果的な対策を取らなければ手遅れになりそうな問題として、地球温暖化の問題と食糧問題を取り上げていた。
地球温暖化問題も食糧問題も、どちらも世界中の主権国家が、同時に合意して着手することを必要とする。
ただ現時点では、まだ世界の多くの国々で「自分たちさえ良ければ」「自分の国さえ良ければ」という論調がまかり通っている。
世界的な合意を取り付けるためには、こうした国家エゴを、早く克服しなければならない。
そして、世界的な合意を取り付けたその先を見据えてゆくと、世界連邦政府のような機構が必然的に登場してくると思われるのである。
それでは、世界連邦政府は、いつ実現するであろうか?
筆者は、数十年後と見ている。
早ければ、20~30年後くらい、筆者は現在60歳なので、もしかすると筆者が生きているうちに、その日が見られるかも知れない。
50~60年くらいかかるならば、筆者はもはや地上にはいないことになる。
しかしこの数十年以内に世界連邦政府が実現されるか、もしくはそれに代わる何らかの世界的合意が取り付けられなければ、あまり想像したくない、地獄のような未来が待ち受けているかも知れないのである。
トインビーは、世界人類が困難に直面しながらも、最終的には賢い選択をすると予想しているが、筆者もそれを信ずるものである。
60代男性、神奈川県横浜市在住。会社員として仕事をする傍ら、これまでの人生経験と様々な書物を元に、歴史・国際政治・社会問題などを、独自の視点で分析したエッセイを執筆。今後の日本人および世界人類が、幸福に生きられる方策について提言、近い将来本格的なエッセイストを目指す。趣味は音楽、学生コーラスとギターの経験あり。家族構成は妻と娘一人。