情けは人のためならず ~ナチス収容所での出来事~

ヴィクトール・フランクルという第2次世界大戦とその戦後を生きた、オーストリア生まれの、ユダヤ人の精神科医がいる。

そのフランクルが、第2次大戦中に、当時のナチス・ドイツによって、強制収容所に送られたが、そこでの体験をもとに『夜と霧』という手記を残している。

その手記は、生きるとは何か、幸福とは何かについて、大いに考えさせるものがあるので、少し紹介してみたい。

ヴィクトール・フランクルの生涯

ヴィクトール・フランクルは、1905年3月、オーストリアのウィーンで生まれ、ウィーン大学医学部の精神科で学んだ。

1933年から、ウィーンの精神病院で、医師として勤務していたが、1938年の、ナチス・ドイツによるオーストリア併合が、彼の運命を大きく変えることになる。

彼はユダヤ人の家系であったため、ナチスの政策によって、差別の対象となってしまう。

フランクルは1941年12月に結婚したが、その9ヶ月後に家族と共に強制収容所のテレージエンシュタットに収容され、収容所生活の中で、父・母・妻を失ってしまう。

しかし彼自身はドイツ敗戦まで生き残り、1945年4月にアメリカ軍により解放された。

その後1946年から1971年まで、ウィーンの精神科医院で勤務し、患者の治療にあたる傍らで、自らの体験をもとに『夜と霧』などの手記を執筆した。

1947年に2度目の妻と結婚したが、50年以上にわたって仲の良い夫婦であったという。

そして、1997年に92歳で逝去した。

彼の著作『夜と霧』は17ヶ国語に翻訳され、20世紀を代表する著作となり、現在も読み継がれている。

ナチス収容所の体験

さて、ヴィクトール・フランクルの収容所体験についてである。

ナチスの強制収容所と言えば、ご存知の方も多いと思う。

当時のヒトラーの偏狭な人種差別政策により、ナチスはユダヤ人を一律に劣等人種とみなし、ユダヤ人と見れば誰彼かまわず強制収容所に押し込んだ。

そして、強制労働に服させながら、最終的には全員根絶やしにすることを目的とし、人体実験などのおぞましい行為が行われ、600万人と推定される人々が犠牲になった。

強制労働は、ただ殺すよりは、少しでも役立つものは働かせる政策であり、役に立つものは軍需産業の労働力として、工場で労働させたが、体力的に労働に耐えられないと見なされれば容赦なくガス室に送られて、毒ガスによって処刑された。

そんなところに送り込まれれば、送り込まれた人々は全て自暴自棄に陥るだろうと言われていた。

しかしそこでフランクルが見たものは、そんな中でも何割かの人々が、周囲の人に対して暖かい励ましの言葉をかけ、中には、自分も飢えているのに、配給されたパンを差し出す人もいた、というのである。

そして、その後の収容所での経過が、我々に逆説的な命題を提示する。

収容された人々の中で、体力的に頑強なだけの人は、収容所の中でみな死んでいき、アメリカ軍によって収容所が解放され、生きて収容所を出ることができたのは、みな周囲に対して暖かい気配りをした人たちだったのである。

その人たちは、自分が人に対して親切を施せば、生きて収容所を出られると想定していたのだろうか?いや、そんなはずはない。

それを考えたなら、見返りを期待する打算の気持ちが生じるし、打算の気持ちが入ったものは、長続きしない。当初は、この収容所生活がいったいいつまで続くのか、見当がつかなかったのである。

このような地獄に等しいような環境の中でも、周囲の人を思いやることができたのは、その人自身の人間性の本性的な部分で、周囲の人を思わずにいられなかったからである。

そしてその人たちは、自分か周囲の人に尽くして、相手の喜ぶ姿を見て自分も幸福感を感じ、その幸福感が生きるエネルギーとなって、アメリカ軍による解放まで、生き長らえさせたのである。

このことは我々に、生きるとは何か、幸福とは何かについて、大きな示唆を与えてくれる。

「情けは人のためならず」という言葉の意味

「情けは人のためならず」という言葉がある。

これは通常、人に施した親切は、それが巡り巡って、最後には自分が恩恵を受けること、と解釈される。

しかし筆者は、この言葉にはもっと深い奥義があると思う。

人のために喜んで犠牲になれる人は、既にその人自身の心に、幸福を感じているのである。

子育てを経験した人なら、子供のために何かしてあげることに対して、けっして苦痛でなく、喜びを感じた方が多いであろう。

親の気持ちとしては、子供に何かしてあげても、これで満足ということはなく、もっとしてあげたいと思うものである。

「情けは人のためならず」というのは、人に情けを施すところから、既に幸福は始まっている、ということなのである。

ナチス収容所での体験は極端な例ではあるが、極端な例であるからこそ、その真実の意味を我々に問いかけてくる。

人間の幸福の究極的要素は愛

「あなたにとって幸福とは何ですか?」と聞かれたら、多くの人は何と答えるだろうか?

ある人にとっては、多くのお金を得ることと答えるかも知れないし、社会的成功を収めることと言う人もおられることであろう。

また若い世代であるなら、恋人が欲しい、車が欲しいなどの回答もあるに違いない。

それは、その人にとっては間違いなく一つの幸福の形である。

ただ、幸福には、もっと究極的な要素がある。

幸福とは、究極的には愛で満たされることであり、それにはまず、私自身が人に愛を施すことによって始まるのである。

ただ、実際には、人のために何かしてあげても、誤解されたり、ありがた迷惑だと言われた方がおられるかも知れない。

親切にしてあげたのに裏切られて、傷ついた経験のある方もおられることであろう。しかし、人に対して心を閉ざして、自分だけの幸福を求めたとしても、その中に幸福はない。

だから、対人関係で傷ついた体験のある方も、勇気をもって、一歩を踏み出すことをお奨めしたい。

現代の先進国では、物質的には豊かなはずなのに、一向に幸福を感じていない人も多い。

一方、貧しい国に行ってみると、物質的にはほとんど何もないのに、生き生きと目を輝かせながら、日々を生きている人も多い。

貧しいがゆえに、家族が助け合わなければ生きてゆくことができず、それが家族の絆を深め、幸福感を生み出している。

このことは、幸福の本質が物質でなく、愛であることの象徴である。

筆者は、物質的なもの自体はもちろん否定しない。

お金は当然、あるに越したことはないし、高級品を持つことも、間違いではない。

しかし、幸福の本質は愛であり、ここに人生の目的を定めるべきと思う。

地獄のような環境でも、周囲の人に愛を施したナチスの収容所の人たちの生き様は、今でも重要な教訓である。