大変ながらも楽しい子育て ~児童虐待をなくすために~

最近、児童虐待のニュースが後を絶たない。

虐待を受けて亡くなった子供のことが、頻繁に報道される。

聴いていて、毎回非常に心が痛むのであるが、なくなるどころか、どんどん件数が増えているようである。

どうしてこのように、児童虐待が頻繁に起こるようになってしまったのだろうか。

この原因を、じっくり掘り下げてみたい。

本来子育ては楽しいもの

本来、動物が本能的に子育てするように、人間にも子育てをするための本能性が、自然に備わっている。

特に女性の場合は、母性本能はかなり早い時期から育まれ、12~13歳くらいになった女の子は、上手に子守をすることができる。

男性の場合は、子供を持たないうちは、子育てなどに関して全く関心のない人が多いが、いったん父親になると一転して、子煩悩な父親になったりする。

若いころは、「めんどうだから、子供なんていらない」と言っていた若者が、結婚して父親となったとたんに、ビデオカメラで我が子の姿を追い続けている、などはよく聞く話である。

筆者も多くの男性の御多分に漏れず、父親になったことで、自分の心の内面が大きく変わっているのを感じた。

そして、我が家の子育ての体験を振り返ってみると、「大変だけど楽しかった」というのが、率直な実感である。

子育ては決して簡単なものでなく、ハラハラドキドキの連続である。

産まれて半年くらいまでの間の赤ちゃんは、「おなかが空いた」「オムツを替えて欲しい」と感じるたびに、しょっちゅう泣き出して知らせる。

このころはまだ、昼間に起きていて夜は眠るというサイクルが出来ていないので、夜中でも3~4時間ごとに起こされるのは普通である。

親はその度に起こされて、「ミルクかな?オムツかな?」と我が子の様子を見て、世話をするのである。

当然、睡眠不足になるのは避けられない。

また、少し成長してきても、子供はまだ免疫力がないので、しょっちゅう風邪をひき、熱を出し、ひんぱんに病院へ連れていかなければならない。

小学校に上がる年齢になるくらいまでは、子供の健康状態に対して、ハラハラドキドキが絶えることはない。

我が家でも同じであった。

けれども、そのときは大変でも、子供の笑顔や安らかな寝顔を見るたびに、心が癒され、それまでの疲れが飛んでしまうような気がする。

そして、子供を持って本当に良かったと思う。

それが親の気持ちである。

そう、子育ては、本来楽しくできるものである。

大変ながらも子育てが楽しいと感じられるのは、それに伴う苦労よりも、子供に対する愛情の方が勝っているからである。

親からたっぷりと愛情を受けて育った人であるならば、大きな愛情の器が備わっているので、きっと楽しく子育てができる。

しかし最近、児童虐待が増加して、痛ましいニュースを頻繁に聞く。

そのニュースを詳しく聞いてみれば、子育てへのストレスから、そのイライラを子供にぶつけてしまい、その結果子供が亡くなったり重傷を負ったりというものである。

何故そうなるかと言えば、親の愛情のエネルギーが乏しく、苦労に押しつぶされてしまうからである。

それを解決するためには、親の愛情のエネルギーを補充し、楽しく子育てできる状況を作り出すことである。

それをするために、具体的にはどうしたら良いのであろうか?

親から愛された実感が薄い場合

自分も親から虐待されて育ったという人は、なかなか子供を正常に愛することが難しい。それは、自分が愛された実感のある分だけしか、人を愛することができないからである。

そのため、愛情のエネルギーはほとんど枯渇していて、親からされたようにしか、子供に接することができない。

このような人がそのまま結婚し、親となることは危険である。

このような場合、できれば結婚する前に、対策を講じておきたい。

まず、可能ならば親との関係を修復することである。

一度率直に親と心を割って話し、自分が味わったつらい体験、感じてきたことなどを、心ゆくまで話し合ってみることである。

もしかしたら、その親にも、子供に愛情を向けられないような、何か難しい事情があったのかも知れない。

子供の時分にはわからなかったことも、大人になってみて、親の抱えていた事情が理解できることもある。

そして、何かひとつでも抱えていた苦しみが解けて、親を許せるような心境になるならば、その分、自分の中の愛情のエネルギーが補充できる。

それから、虐待とまではいかないが、親から受けた愛情のエネルギーが薄い人がいる。

最近は、どんどん人間関係が希薄になり、家族でさえも、お互いに関心を持たないような家庭も増えている。

こうした場合も、できれば結婚する前に、家族同士でお互いに思っていたことをとことん語り合う場があれば良いと思う。

悩みを相談できる人を見つける

児童虐待のニュースを聞いてみると、「誰にも相談できなかった」という話もよく聞く。

昔ならば、大家族であったり、近所になにかと世話を焼いてくれる人がいたりして、子育て中の母親の相談に乗ってくれたりした。

しかし現代は無縁社会であり、以前に比べると、極めて人間関係が希薄である。

いざという時に相談できる人を確保しておくことは、重要なセーフティーネットである。

誰が頼りにできるかよく考えて、普段から交流し、孤立に陥らないようにしておきたい。

まずは、夫と妻のそれぞれの両親である。

近くに住んでいないケースも多いとは思うが、自分たちのことを、誰よりも心から心配してくれるのは、実の親である。

本当に困っているときには、一番頼りになる存在である。

次には、ママ友などの、お互いの子育ての体験・悩みを共有できる人と知り合いになることである。

同じ事情を抱えていることで、困ったときに、すぐに相手の気持ちに通じることができる。

そして、近所で少し世代が上の、子育ての経験が豊富な、愛情深い人と知り合いになれれば、さらに良い。

特に、実の親から愛された実感の薄い人は、このような人に相談に乗ってもらえれば、実の親からの愛情の不足分を、補充してもらうことができる。

そうそう都合よく、そういった人に出会えないかも知れないが、探してみる価値はあるのではないか。

また、公共のサービスで、子育て相談の窓口を設けているところもある。

それも、セーフティーネットとして活用したい。

親身になって相談に乗ってもらうためには、こちらの事情を包み隠さず話し、率直な本音を言える関係を築くことである。

「誰にも相談できなかった。」というのは、本音を言える人がいなかった、ということである。

都合が悪い部分があると、なかなか相談に行きにくい。

しかし、そこを勇気をもって越えて欲しい。

何よりも、孤立しないことが、一番大事である。

年配の世代が子育て世代を気遣う

今これをお読みになっている方の中には、自身は既に子育てはだいぶ前に卒業されて、自分の息子や娘たちが子育て中という方もおられると思う。

そのような方は、自分の子供たちが楽しく子育てしているかを、気遣ってあげて欲しい。

自分が子育てを卒業したらそれで終わりでなく、さらに自分の子の子育てにも、責任を持つ心構えが欲しい。

普段はあまり出しゃばらずに、いざという時は頼りになる、奥ゆかしさを持ったシニアになれれば最高である。

それから実の子の子育ても重要だが、筆者としては、年配の世代の方々が、今の子育て世代の力になれないものか、とも考える。

子育てのためには、愛情が一番重要な要素であることは既に述べたが、その次に、「自分にはできる」という自己肯定の気持ちも重要である。

しかし最近の若い人の中に、この自己肯定感の薄い人が多いようなのが、筆者には気がかりである。

これは、時代的なものも関係していると思われる。

筆者が成長した昭和40・50年代は、まだ日本が高度経済成長期であり、人々は将来に対してバラ色の希望を抱いていた時代であった。

若者たちは、自分の将来を楽観的に考えていた。

大学を卒業すれば、ほとんどの学生が正社員として企業に就職でき、成功体験を掴むことがそれほど難しくなかった。

しかし、今やバブル経済は崩壊し、人口も減少に向かい、人々は将来を悲観的に見ている。

若者たちは、閉塞感の漂う中で、思春期を過ごしている。

大学を卒業しても、正社員として就職するのは狭き門となり、フリーターになったり、引きこもりになってしまうような学生もいる。

成功体験を掴むのが、なかなか難しくなっている。

正社員になれず、やむを得ずフリーターになった若者は、自分には価値がないと思い込み、なかなか自己肯定感が持てなかったりする。

そうした人は、なかなか結婚できない人も多いが、結婚し、子育てに入ったとしても、屈折した気持ちを抱えながら子育てすることになる。

こうしたことを考えると、今の若い人は、本当に気の毒だと思えてくる。

現在子育てしている家庭の中に、きっと様々な悩みがあることと思う。

具体的な仕組みはまだ見えていないが、もし年配者の方々が子育て世代の力になれるのならば、日本の将来に大いに希望があると、筆者は思うものである。