無縁社会からの脱却 ~新たな人との絆を結ぶ取り組み~
現代の日本社会の特色を表す言葉の一つに、「無縁社会」という言葉がある。
人々がお互いの生活に干渉しなくなり、隣の家庭がどのような生活を送っているのか、ほとんど分からなくなっている。
家庭内の人間関係もどんどん希薄になり、家族と言えども、それぞれのプライバシーの領域に、他の家族を入れさせない風潮もある。
そして何より、一人暮らしの世帯の問題が一番深刻で、周囲の世帯との接触が全くなく、自室でひっそりと亡くなっていることに誰も気付かず、死後何日も経ってから、部屋から異臭がしてきて、おかしいと思って強制的に部屋を開けたところ、死亡が確認されたというようなニュースが度々流れ、「無縁社会」という言葉が生まれた。
日本社会は、いつからこのような無縁社会になってしまったのだろうか。
産業経済が無縁社会へのきっかけ
遥かな昔、例えば江戸時代あたりは、「無縁社会」とは程遠い社会であった。
士農工商という身分制度があったが、就業人口で分類してみると、全就業人口のうち、実に80%以上が農民であった。
農村の生活では、それぞれの家族は家族ごとの農地があり、家族ごとに、それぞれの隣り合った農地に毎日働きに出る。
作業の内容も皆ほとんど同じのため、生活の時間帯もほとんど同じである。
そして、田植えや稲刈りの時期になると、いくつかの家族が共同で一つの農地の作業を手伝ったりしながら、連帯感を共有する「村落共同体」があった。
農業の生産性は極めて低く、ぎりぎりの貧しい生活ではあったが、お互いを思いやり助け合い、「無縁社会」は想像も及ばなかった。
江戸などの大都市は少し事情が違う。都市になると、隣り合った家族でも職業が違い、働きに行く場所も違い、生活の時間帯も違ってくる。
村落共同体ほどの連帯感は、なかなか持ちにくい。
それでも、長屋で暮らしている多くの町民は、今で言う町内会のような寄り合いを持ったりして、それなりの連帯感を共有していた。
状況が変わって来るのは、明治以降の産業経済が発達してくるあたりからである。
近代工業の発達によって、都市部に多くの働き手が必要となってきた。
近代化によって農業の生産性も上がったため、農業の就業人口が減ったとしても、それまで以上の収穫を上げられるようになった。
そのため農村から都市部へ、人口の移動が起こるようになった。
江戸時代は身分制度が固定しており、江戸時代の全期間を通じて、農業人口は80%以上であったが、明治以降その割合が減り始め、1872年には81.4%だった農業人口は、1900年には、66.6%だったことが知られている。
しかも、新しく都市部に出てきた人たちは、江戸時代のような長屋住まいではなく、それぞれに一戸建ての住宅を建てて住むようになった。
そして、それぞれの家庭ごとのプライバシーが出てくるわけである。産業経済の発達は、「無縁社会」へのきっかけを内包していた。
しかしそれでも第2次大戦以前は、現代社会と比較すれば、まだ人間関係の結びつきは濃い時代であった。
農業人口は、まだ日本全体の半分以上を占めていたし、都市部でも「隣組」と言われる地域の組織があり、プライバシーがありながらも、同じ目的を共有する連帯感はあった。「無縁社会」への本格的な動きが始まるのは、戦後になってからである。
本格的な無縁社会への突入
第2次大戦が終了すると、産業経済はますます発達し、さらに都市部への人口の流入が盛んになった。
農業も機械化によって生産性が飛躍的に高まり、ますます農業人口が少なく済むようになった。
現在では、農業人口は全産業人口のわずか3%程度、しかも半分以上は兼業農家であり、農業を専業にしている人は、1.5%ほどにしか過ぎない。
そして、都市部での生活は、地域での連帯が薄くなって、次第に隣の家庭がどのような生活をしているのか、わからなくなっていった。
プライバシーと人口の調査をしているある方の報告によると、となり近所顔見知りという状況で生活できるのは、地域の人口が40万人までだそうで、それ以上に人口が増えると、急速に知らない人が増えていくそうである。
それでも、周囲の家庭と疎遠になるだけならば、まだましな方である。
現代の根深い問題は、同じ家族の中でさえも、人間関係が希薄になっている点である。
親子・夫婦でさえも、お互いのプライバシーに干渉せず、それぞれの生活に関心を持とうとしない。
一つ屋根の下で生活していても、気持ちはバラバラである。
さらに、何かの事情で一人暮らしになってしまうと、本当に孤立した状態になってしまう。
無縁社会をどうすべきか
さて、ここまで読んでこられた読者諸氏は、現代の「無縁社会」の実情を、どのようにお考えであろうか?
数年前に、「家族という病」という著作が、大きな反響を呼んだ。
また、「お一人様」という言葉が、流行ったこともある。
読者諸氏の中には、「自分は一人で結構。」というお考えの方も、おられることであろう。そのような方にとっては、筆者がこれから述べることに対して、あまり興味が無いかも知れない。
しかし、「この無縁社会を何とかしなければならない。」という方も、少なからずおられることであろう。
そうした方は、もうしばらく筆者にお付き合い頂きたい。
江戸時代以前の「村落共同体」においては、人々が特に意識して努力しなくても、必然的に地域の人が助け合い、連帯感が生まれていた。
産業経済の発達と共に「無縁社会」に向かって行き易い傾向は、どこの国にも等しくあるのだが、友人や周囲の人を自宅に呼んでパーティーを開いたりするのが好きなアメリカやヨーロッパなどの人は、孤立状態に陥ることから、何とか逃れられている。
しかし、シャイな国民性の日本人は、下手をすると本当に誰とも交流しなくなり、孤立状態に陥ってしまう。
我々日本人が無縁社会から脱却するには、意識して努力することが、どうしても必要である。
では、具体的にどうすれば良いであろうか?
無縁社会は人間関係が薄く、お互いに関心を持とうとしないことが特色である。
なので、もっと関心を持ち合うことが大切なのだが、まずは家族同士で関心を持ち合うことから始めたい。
家族の絆、特に夫婦の絆は重要である。
夫婦関係は親子関係に影響する。
夫婦がお互いに信頼し合い、関心を持ち、お互いを大切にし合っているならば、子供たちも両親を心から信頼し、親子の絆も深くなるものである。
子供たちが独立した後、夫婦仲の良い両親の元には、何かにつけて子供たちが駆けつけてくる。
しかし、夫婦関係で心がバラバラになると、親子関係でも、やはり心がバラバラになってゆく。
夫婦仲の悪い両親の元で育った子供たちは、独立すると、なかなか親元に寄り付かなくなってしまう。
無縁社会に陥らないためには、まずは家族の絆、特に夫婦の絆を大切にしたい。
無縁社会脱却への具体的提言
ここで、手前味噌で恐縮だが、筆者の体験談をお伝えしたい。
筆者の母親が生前に、「夫婦仲の悪い人は不幸だ。」と良く口にしていた。
既に他界している筆者の両親は、特別に秀でたものはなかったが、夫婦仲に関しては非常に良かったと思う。
まず父親が先に逝き、その数年後に母親も他界したが、母は、来世で夫に会えることを心待ちにしているようであった。
亡くなるに際しても、幸福な旅立ちだったと思う。
最近、熟年離婚が増えている。
既に離婚に至る何年も前から夫婦仲は冷え切っているが、子供たちが独立するまでは、親としての務めを果たすために、何とか形だけは夫婦を保っている。
しかし子供たちが独立するや否や、もう気にするものはないとして、離婚に踏切るのである。
妻から夫へ離婚を切り出すケースが、圧倒的に多いようである。
しかし、これは正しい選択なのだろうか?
離婚する人の言い分としては、これ以上冷え切った夫婦関係を続けるのは、もはや苦痛で耐えがたい。
それよりはここで別れた方が、お互いに楽ではないかというものである。
気持ちとしては、確かに理解できる。
しかしその先に待っている孤立状態を考えると、筆者としては、到底この選択には賛成できない。
一度結婚に至ったからには、何かしらの理由があったはずである。
また、夫婦仲の良い時期、お互いが幸福であった時期が、必ずあったはずである。
夫婦として歩んできた歳月は、様々なことがあったであろう。
結婚してから子供たちが独立するまでの間の様々な思い出を振り返りながら、もう一度やり直せないものか、最後の最後まで、検討して欲しいのである。
本来は、夫婦はお互いに掛け替えのないものである。
筆者は、自分の両親を通じてこのことを実感し、また、まだ不十分ではあるが、妻との関係を通じて感じている部分もある。
もちろん、お互いに性格も違うし、意見が合わずに夫婦喧嘩になったことも多々ある。
しかし、お互いに協力して困難を超えてきたことが、お互いの存在を掛け替えのないものにしている。
あまり書くと自画自賛になってしまうのでこれ以上は省略するが、お互いに掛け替えのない存在であることを実感する夫婦関係を築いて欲しい。
そして、夫婦関係で幸福を実感できるならば、親子関係、家族全体の関係でも、幸福を感じられるはずである。
無縁社会に陥らないために、まず第一に家族の絆、夫婦の絆を大切にすることは述べた。
次は、地域の人との絆である。
諸外国と比較すると、我々日本人はどうしても、周囲の方々を家へ呼ぶことに対して億劫なようである。
よく、「こんな散らかっている家を人に見られたくない。」という声を聴くが、ここには遠慮と見栄が表れている。
産業経済社会以前の時代は、国民のほとんどが貧しい時代であったので、みすぼらしい家がほとんどであり、人に見られることを気遣う必要はなかった。
産業経済社会、特に戦後の高度経済成長期を体験し、「一億総中流社会」などという言葉が生まれ、人々の生活が豊かになってきた頃から、我々はお互いの家の生活水準を比較するようになった。
そして、隣の家と比較して自分の家が貧しければ、それを恥じ、劣等感を感ずるようになったのである。
しかし、高度経済成長期は、既に遠い過去のこととなった。
かつては多くの人の生活水準が均等だったが、今や格差社会となり、非正規雇用者も多く、貧しい人が再びどんどん増えている。
たとえ自分の家の生活水準が隣の家と比較して貧しかったとしても、それ以上に生活に困っている人も多くいる中で、それを恥じる必要性は全くない。
そろそろ我々は、周囲の人と交流するに際して、遠慮や見栄を捨てるべきである。
少しくらい散らかっていたとしても、どんどん人を家に呼んで交流してみてはどうだろうか。
また、日頃から周囲の人と挨拶を交わして、お互いに声の掛けやすい人間関係を築いておきたい。
自分が本当に困った状況に陥って、すぐにでも助けを呼びたいとき、普段から挨拶を交わしている人がいれば、助けを求めに行くことができる。
しかし、誰とも交流のない人は、自分が困った状況に陥っても、なかなか助けを求めに行くことができない。
日頃から人と交流しているかどうかは、いざというときに、大きな差となって表れる。
なので、まずは自分から積極的に周囲の人と挨拶し、交流することが大切である。
さらに、もし自分の気持ちに余裕がある人は、周囲の人に困っている人、孤独に陥っている人がいないか、意識して気遣って欲しいのである。
これは、誰にでもできるものではないので、全ての人にお奨めするものではない。
それは、今これを読んでいる方の中で、「自分ならできそうなので、ぜひやってみようかな。」と思う方がおられれば、そうした方に立ち上がって欲しい。
以上、これまで筆者が述べてきたことをまとめると、まずは第一に、家族の絆、夫婦の絆を深めること、次に自分から積極的に周囲の人と交流すること、そしてさらに可能な人は、周囲に困っている人、孤独に陥っている人がいないか気遣ってあげること、これらの取り組みを行うことにより、日本は無縁社会から脱却できるものと、筆者は信ずるものである。
60代男性、神奈川県横浜市在住。会社員として仕事をする傍ら、これまでの人生経験と様々な書物を元に、歴史・国際政治・社会問題などを、独自の視点で分析したエッセイを執筆。今後の日本人および世界人類が、幸福に生きられる方策について提言、近い将来本格的なエッセイストを目指す。趣味は音楽、学生コーラスとギターの経験あり。家族構成は妻と娘一人。