犯罪を防ぐ社会を目指して ~犯罪者のタイプ別から見た対応策~

我々は、誰もが幸福に生きることを願っている。

しかし、誰でもが恵まれた境遇にあるわけではない。

幸運がついて回る人もいれば、不運が続く人もいる。

ただ、不遇な状況も、捉え方次第では、幸福を見いだせるかも知れない。

そのような中で誰にとっても不幸な状況になるのは、犯罪に遭遇してしまった場合である。

この地球上に人類が誕生して以来、犯罪は絶えたことがない。

できれば犯罪に遭遇せずに人生を終わりたいが、しかし自分が犯罪に遭遇しないという保証は、どこにもない。

我々の周囲に起こる犯罪を、少しでも減らす方法は、あるのだろうか?

筆者は、犯罪者をタイプ別に分類し、そのタイプによっては、我々市民でも対応可能なものもあると思っている。

今回は、このことについて、少し考察してみたい。

犯罪者のタイプ別に気付いたきっかけ

さて、筆者が、犯罪者にいくつかのタイプがあることに気付いたきっかけについて、お話したい。

筆者は、大学の法学部法律学科の卒業である。

勉強は、正直なところあまり熱心にやっておらず、ただ単位だけを満たして卒業したレベルである。

その中で、刑法の授業だけは、面白かったのを覚えている。

刑法は、犯罪を犯した者に正しく刑罰を適用し、市民社会の秩序を守るための法律である。

刑法には、「罪刑法定主義」という原則があり、犯した犯罪の大きさによって、刑罰の重さを法的に規定している。

どのような罪を犯したら、どのような刑罰が適用されるか、刑法の条文に書かれているのだが、その適用範囲には、少し幅を持たせてある。

実際に犯罪が起きて、被告人が裁判にかけられた際に、裁判官は被告人が犯罪を犯すに至った経緯、情状酌量の余地があるかなどを見定めて、適用範囲の中からふさわしい刑罰を選んで、判決を下す。

例えば、刑法第199条には、殺人罪についての刑罰の規定が、次のように書かれている。

「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。」

このように、もし人を殺した場合に、5年の懲役から死刑まで、刑罰に幅がある。

人を殺すに至った経緯が明らかに凶悪な場合は、いきなり死刑が適用されるケースもあるが、被告人に情状酌量の余地があり、更生が可能と思われた場合は、できる限り被告人を生かして、懲役刑を通して、更生させようとするのである。

実際に刑が適用された例を見てみると、殺人罪の初犯で1人の人を殺した場合は、数年程度の懲役が多いようである。

殺人罪の初犯でも、殺した人数が2人になると、20年前後の懲役になり、さらに3人以上になってしまうと、たとえ初犯であっても、死刑を含む極刑が適用されることになる。

このように、大学の法律の授業の中で、なぜか刑法だけは、筆者にとっては面白かった。

その後筆者は、特に法律関係の仕事に就くでもなく、平凡な社会人として生活を始めたが、

あるとき、「犯罪者はいくつかのタイプに分類できるのでは?」と気付いたニュース映像があった。

それは、かつての連合赤軍の幹部であった、重信房子が逮捕され、護送されてきた際の映像である。

多くの方がお気づきかと思うが、通常犯罪者が逮捕され、護送される際の映像を見てみると、犯罪者の多くが自分の顔を隠し、写真に撮られないようにしていることが多い。

それは、良心の呵責にさいなまれていることと、犯罪者として世間に知られることを恥じて、そのようにしているのであろう。

しかし重信房子が護送されてきたとき、彼女は多くの報道陣の前で堂々と顔を隠すことなく、不敵な笑みをたたえ、ガッツポーズを作って見せた。

それを見て筆者は、「ああ、この女は悪いことをしたとは思っていないのだな」という気付きを得た。

そして、犯罪者は、その犯罪を犯す動機から、いくつかのタイプに分類できることに、思い至ったわけである。

動機から見た3つ(4つ)の犯罪者のタイプ

さて、犯罪を犯す動機から見て、筆者が思うには、大きく分けて3つの犯罪者のタイプがあるように思われる。

その他に、犯罪者と呼ぶには少々気の毒なもう1つのタイプがあり、それを含めると4つのタイプとなる。

まず1つ目の犯罪者のタイプは、明確な悪だくみをもって悪事を行う犯罪者である。

例えば、特殊詐欺のグループ、計画的な殺人犯、贈賄・収賄・粉飾決算などを隠れて行う人々、暴力団の組織等である。

このタイプの特色は、極めて私利私欲が強いことである。

また、警察などに察知されないよう、慎重に、巧妙に行動する。

そして、犯罪を行うターゲットが明確であるため、第三者が巻き込まれる危険性は、比較的少ない。

2つ目の犯罪者のタイプは、半分正気を失い、悪霊にでも操られているような、発作的、突発的に悪事を行う犯罪者である。

犯罪を行っているときは、自分の気持ちにブレーキが効かなくなっており、何をしでかすか自分でも制御できないため、極めて危険である。

有名なのは、京都アニメーションの放火犯、相模原市の障碍者施設を襲った殺人犯、川崎市のバス停で、私立小学校の児童たちを襲った犯人などである。

このタイプの特色は、孤独であることである。

社会から孤立して、だんだん孤独になり、周囲との人間関係を絶ってゆく。

自分の不運な境遇を他人や社会のせいにして、憎悪をどんどん募らせてゆく。

犯罪を実行に移すときには、憎悪が頂点に達していて、もはや制御が効かない。

誰が巻き込まれるかわからない、危険であり、またやっかいなタイプである。

そして、3つ目の犯罪者のタイプは、「自分がしていることこそ善だ、正義だ」と信じているが、その目的が間違っていて、まっしぐらに悪事へと突き進む犯罪者である。

このタイプの犯罪者を、キリスト教ではパリサイ主義者と言う。

イエス・キリストの在世時、ユダヤの国の、ユダヤ教の祭詞や指導者層の人々を、パリサイ人と呼んだ。

パリサイ人はユダヤ人社会の中で、高い地位と権力を手にしていて、民衆から崇められる立場であった。

その当時のユダヤの国は、ローマ帝国の属国であり、ローマ帝国から厳しい支配を受けていた。

ユダヤの国にはその数百年前から、やがて救い主が現れるであろうという、預言があった。

そして、実際に救い主として登場したのが、イエス・キリストであった。

ただ、その救い主を、どんな観点で見るかが、大きな問題となった。

イエス・キリストは、ユダヤという国を超えて、全人類を救う愛の教えを述べ伝えるために来られた、宗教的に言う救い主であった。

しかし当時のユダヤには、軍を起こしてローマ帝国を打ち破り、その支配から脱するように導いてくれる、政治的な指導者として、救い主に期待する人々もいて、特にパリサイ人に、その傾向が強かった。

そのような人々にとって、肝心の自分たちユダヤ人をローマ帝国から解放してくれず、ユダヤ人以外の人々にも愛を施すイエスの姿は、理解できないものであった。

貧しい民衆は、イエスの説く愛の教えに強く魅かれたが、パリサイ人たちは、自分たちの考えていた救い主と違うと言って、反発した。

そして、イエスを民族の裏切り者と見なし、民衆を扇動して、十字架につけて殺害してしまったのであった。

彼らは、裏切り者を処罰した自分たちこそ、正しいと思っていた。

しかしイエスを殺害した後で、彼らは自分たちの犯した過ちの大きさに気付き、愕然としたが、後の祭りであった。

キリスト教では、「このような者になってはいけない」とい意味で、間違った考えで正しい人を迫害する者を「パリサイ主義者」と呼び、反面教師としている。

現代でいうパリサイ主義者は、連合赤軍やイスラム国、その他テロ活動を行う様々な組織、またヒトラーやスターリンなどの独裁者たちである。

このタイプは、とにかく意志が強いことが特色である。

自分がしていることを正しいと信じているので、さらさら悪いとは思っていない。

連合赤軍の重信房子が、連行されてゆくときにガッツポーズを見せたのも、罪の意識が全くなかったためである。

またこのタイプは、私利私欲がほとんどなく、正しい目的に転換されれば、素晴らしい人格者になれる資質のある人もいるのだが、目的が間違っているのが非常に残念である。

よく時代劇、歴史ドラマで登場する、幕末の大老、井伊直弼であるが、彼は改革派の志士たちを多く弾圧したため、悪辣なイメージで描かれることが多い。

しかし私生活では質素で、私利私欲はほとんどなかったそうである。

ただ、改革派の志士たちが、新しい時代に合う政府を目指したのに対して、彼は江戸幕府が昔の権威を取り戻すことが大事であり、懸命に幕府を立て直そうとした。

それだけに、幕府に逆らおうとする者を、許すことができなかった。

傾いてゆく江戸幕府を守ることこそ、彼にとっての正義だったのである。

そして、犯罪者と呼ぶには少々気の毒な4つ目のタイプは、それまで善良な一般市民として生きてきた人が、切迫した状況に追い込まれ、苦し紛れに犯罪を犯してしまうケースである

相手に弱みを握られ、脅され、揺すられて、苦し紛れに相手を殺害してしまう人、子供からのDVに耐えかねて、親が子供を殺してしまったり、老々介護の苦しみから行く先を悲観して、配偶者を殺害してしまう人などである。

特に最近では、殺人事件の半数以上は親族間で起こっているというが、その事情を見れば、このような痛ましい事例が極めて多い。

切迫した状況に追い込まれなかったならば、善良な一般市民として、生涯を送ることができたはずなのに、このような事情で犯罪者になってしまったことを考えると、何ともやるせない気持ちになる。

そうなる前に、何とか救いの手を差し伸べることができなかっただろうかと、つくづく考えてしまうケースである。

少しでも犯罪を防ぐには

さて、今まで主に動機から見た犯罪者のタイプ別の分類について述べてきたが、いよいよ本題の、どうしたら我々の周囲から少しでも犯罪を防げるかについて、述べてみたい。

タイプ別に見た中で、1つ目のタイプと3つ目のタイプの強大な勢力を持つものは、我々一般市民の力では、どうにもならない。

これについては、警察や軍隊に頑張ってもらうしかない。

もしかしたら情報提供とかで、協力できる部分はあるかも知れない。

しかしそれ以外のタイプの犯罪者については、現在我々が直面している無縁社会の状況を改善することで、防げるものもあると思っている。

1つ目のタイプのうち、特殊詐欺については、最近それを防いだ事例が、多く報道されるようになった。

警察や銀行などで、お年寄りが被害に遭うのを阻止するための取り組みが、功を奏し始めている結果である。

ただ、筆者としては、できれば三世代同居が、一番望ましいと思っている。

お年寄りが電話を取った時に、若い世代がその場にいるので、状況がおかしければ、すぐに気付くはずである。

また、若い世代がその場にいなくても、非常事態があった際にはすぐに連絡する関係ができているはずなので、早まった行動を起こす可能性は、かなり抑えられるであろう。

特殊詐欺グループも、そこが三世代同居の家庭とわかれば、おそらくターゲットにはしないと思われる。

様々な側面から見て、三世代同居ができれば一番望ましいとは思うが、いろいろな事情から、実際には難しい場合も多いであろう。

そうした場合には、とにかく地域の人間関係のネットワークを、密にしておくことを考えたい。

特殊詐欺グループからの連絡を受けたお年寄りが、早まった行動をしないようにするためには、まだまだ多くの対策の余地があると思っている。

2つ目の犯罪者のタイプは、孤独であることが特色と既に述べた。

彼らは、実際に犯罪の行動を起こすだいぶ前から、社会とのつながりを絶って、どんどん孤立を深めてゆく。

おそらく、様々な挫折を体験して、信頼できる相談相手もなく、孤独になってしまうのであろう。

人生は山あり谷ありで、挫折はつきものである。

ただ、そのような時に、信頼できる相談相手がいないことが、孤独の方向へ向かわせてしまう。

本人自身の責任の問題もあるが、やはり今の無縁社会が、彼らを追い詰めている原因の一つでもある。

彼らが極端な行動を起こす前に、正気に立ち返らせることが必要である。

何とか孤立を深めないうちに、健全な方向へ導きたいものである。

そして4つ目のケースは、家族ごと追い詰められた状態に陥っている。

表面上は、問題なく日々を送っているように見えても、実は深刻な内情を抱えている。

その深刻な内情を、周囲の人には話していないので、なかなか気付かれずに見過ごされてしまっている。

老々介護は、老夫婦のどちらかが、介護を受けざるを得ない状況になり、健常者であるもう一方の配偶者が、その介護をするのであるが、健常者である側も、年と共にどんどん衰えてゆく。

しかも現代は昔に比べて、格段に平均寿命が伸びているので、その状態が果たして何年続くのか、全く見通しがつかない。

介護をしている側が、次第に追い詰められた気持ちになるのも、無理からぬことである。

子供が引きこもりになって、挙句の果てに家族に暴力振るうようになっている家庭も、同様に深刻である。

子供は、何かのきっかけで働けなくなり、引きこもりになってしまうのだが、それが長引いて、40代・50代にもなっているのに、独身のまま引きこもりを続けている息子・娘も、今では珍しくない。

そして年老いた親が何とか面倒を見ているが、親も70代・80代になって、どんどん年老いてゆく。

子供が引きこもりを続けているだけでも、相当な負担になっているのに、さらに家族に暴力を振るうようになってしまったとすれば、もはや耐え切れるものではない。

このようにして、痛ましい親族間での殺人事件のニュースが、ときどき報道される。

こうしたことを考えると、何か地域全体として、家族同士が交流して、お互いの悩みを率直に話し合い、協力し合う仕組みが必要になるのではないか。

筆者が以前に執筆した、無縁社会からの脱却ともつながる話になるが、それぞれの家族が、自分たちだけでなく、周囲の人々にも気を配り、少しでも余裕のある家庭は悩みを抱えている家庭を気遣い、地域が全体として幸福であるような社会にすることができれば、我々一般市民の努力で防ぐことが可能な犯罪の多くを、防ぐことができると思っている。